長野県諏訪湖畔に鎮座する諏訪大社。全国に1万社以上ある諏訪神社の総本社であり、古くから人々の信仰を集めてきた神聖な場所です。しかし、その悠久の歴史の影には、現代人の感覚では理解し難い、畏怖を感じさせる側面も存在します。
古くから伝わる神話や、今もなお続く奇祭の数々。それらは、私たちに古代の人々の自然観や神への畏敬の念を垣間見せてくれます。本記事では、諏訪大社の神秘的な魅力を紹介するとともに、そこに潜む「怖い」とされる側面に迫り、その奥深さを探求していきます。
1. 諏訪大社:二社四宮の謎
諏訪大社は、諏訪湖を囲むように、上社(本宮・前宮)と下社(春宮・秋宮)の二社四宮からなる独特の構成を持つ神社です。一般的な神社とは異なり、本殿を持たず、御神木や御神体として山を崇める古代からの自然崇拝の形を残しています。
諏訪湖と一体化する神域
四つの社はそれぞれ異なる場所に位置し、それぞれに異なる役割と意味を持つとされています。上社は男神である建御名方神を祀り、下社は女神である八坂刀売神を祀るとされています。
この二社四宮という構成は、諏訪湖とその周辺の山々全体を神域として捉え、自然と神が一体となる古代の信仰観を反映していると考えられています。
勇壮な御柱祭
諏訪大社で最も有名な祭事といえば、7年に一度行われる御柱祭です。これは、山から切り出した巨大な樅の木を、人力で社殿まで曳き上げる勇壮な祭りです。
特に、急斜面を御柱が滑り落ちる「木落し」は、祭りのクライマックスであり、多くの見物客を魅了します。しかし、その一方で、毎年死傷者が出るほど危険な儀式としても知られており、まさに命がけの祭りと言えるでしょう。
2. 蛇神と土着神
諏訪大社の祭神は諏訪明神。古事記では、出雲の神・タケミナカタがタケミカヅチに敗れ、諏訪に逃れてきたとされています。しかし、タケミナカタ以前から諏訪には、土着の神・ミシャグジさまが信仰されていたと言われています。
建御名方神(タケミナカタ)
タケミナカタは、国譲り神話において、タケミカヅチとの力比べに敗れ、諏訪の地へ逃れてきた神とされています。古事記では、巨大な岩を持ち上げたり、素手で木をなぎ倒したりする豪傑として描かれていますが、最後はタケミカヅチに腕を引き抜かれ、降伏を余儀なくされます。
土着神「ミシャグジ」さま
ミシャグジさまは、蛇神、石神、農耕神など、様々な姿で信仰され、その正体は謎に包まれています。古くから諏訪地方に土着していた神であり、タケミナカタが諏訪に来る前から信仰されていたと考えられています。
ミシャグジさま信仰は、諏訪大社の祭祀にも影響を与えており、御頭祭(おんとうさい)や蛙狩神事(かわずがりしんじ)など、動物を生贄とする儀式は、ミシャグジ信仰の名残とも言われています。
3. 畏怖の対象:ミシャグジ信仰
ミシャグジ信仰は、諏訪地方を中心に東日本に広がった日本最古級の民間信仰です。古木の根元に石棒や石皿を祀り、そこにミシャグジさまが降臨すると考えられていました。
総社は、諏訪大社上社の筆頭神官である神長官(じんちょうかん)の役職を務めてきた守矢家の邸内社として祀られています。
石や木に宿る神
ミシャグジさまは、人格神ではなく荒ぶる自然神、精霊で諏訪信仰の核心的存在で特定の姿形を持たない精霊に近い存在です。人々は、自然の中に神を見出し、石や木、山や湖など、あらゆるものにミシャグジさまが宿ると信じていました。
祟り神としての側面
ミシャグジさまは、恵みをもたらす神であると同時に、祟り神としての側面も持ち合わせていました。逆らう者には、病気や災厄をもたらすと恐れられ、人々はミシャグジさまの怒りに触れないよう、様々な禁忌を守っていました。
4. 血と畏怖の痕跡:御頭祭と蛙狩神事
諏訪大社で行われる「御頭祭」では、かつて75頭の鹿の首を生贄として捧げていました。現在では剥製が使われていますが、その起源はミシャグジ信仰との関連があるといわれています。
御頭祭
毎年4月15日に行われる御頭祭は、別名「酉の祭」とも言われ、正式名称「大御立座(おおみたてまし)神事」です。古くは3月酉の日に行われる上社最大の神事でした。
五穀豊穣を願う諏訪大社上社の重要な祭事です。かつては、狩猟によって得た鹿の首を神前に捧げ、その年の豊作を祈願していました。その様子は、江戸時代の紀行家・菅江真澄(すがえ ますみ)の記録にも残されており、血生臭い儀式の光景が克明に描写されています。
現代における御頭祭
現在では、動物愛護の観点から、鹿の首は剥製が使われています。しかし、祭りの儀式自体は、ほぼ当時のままの形で受け継がれており、神前に鹿の首を供える様子は、今もなお見る者に畏怖の念を抱かせます。
御頭祭の行程は、13時ごろから諏訪大社上社本宮から始まり、前宮の十間廊へ向かい、内御玉殿や若御子社を回ってから、再び諏訪大社上社本宮に15時半ごろに帰ってきます。
蛙狩神事
1月1日の元旦に行われる「蛙狩神事」では、現在も本宮前の御手洗川にいる冬眠中の蛙を捕まえて、矢で射抜き串刺しのまま神前に供える儀式が行われています。
この儀式は、ミシャグジ信仰の名残とも言われており、蛙をミシャグジさまの化身として崇める信仰があったと考えられています。
動物愛護の観点から、近年では批判の声も上がっていますが、伝統的な神事として、今もなお続けられています。
5. 現代に残るミシャグジさまの影
ミシャグジ信仰は、石神(いしがみ)信仰や道祖神(どうそしん)信仰など、様々な形で現代にも受け継がれています。東京都練馬区の「石神井」という地名も、ミシャグジ信仰に由来すると言われています。
石神信仰と道祖神信仰
石神信仰は、道端や村境などに祀られた石を神として崇める信仰です。道祖神信仰は、村の入り口などに祀られた男女一対の石像を神として崇める信仰です。
これらの信仰は、ミシャグジ信仰と同様に、石に神が宿ると考える信仰であり、古代からの自然崇拝の形を残していると考えられています。
ミシャグジさまの祟り-禁忌を破った大祝の末路
諏訪大社の大祝(おおほうり)は、神である諏訪明神の依り代として選ばれた少年でした。彼は、神聖な存在として、様々な禁忌を課せられていました。中でも、ミシャグジさまの領域である「狩場」へ立ち入ることは厳しく禁じられていました。
しかし、14世紀、諏訪頼重という大祝が、この禁忌を破ってしまいます。彼は、狩猟に強い憧れを抱き、周囲の反対を押し切って狩場へ足を踏み入れてしまったのです。
その結果、諏訪頼重はミシャグジさまの怒りに触れ、原因不明の病に倒れてしまいます。そして、わずか数日で命を落としてしまったのです。
この事件は、ミシャグジさまの祟りを恐れる人々の間で語り継がれ、大祝の行動を戒める教訓として、後世に伝えられました。
ミシャグジさまの祟り-ゲーム開発者を襲った怪奇現象
現代においても、ミシャグジさまの祟りを思わせるエピソードが伝えられています。
人気ゲームシリーズ「女神転生」の開発中に「さま」を付けなかったことで怪奇現象が起こったという都市伝説があります。
開発現場では、原因不明の機器トラブルやデータ消失が頻発し、「さな」をつけて呼ぶように改めたところ、怪奇現象は収まったと言われています。
ミシャグジさまの祟り-消えた村と「ミシャグジの森」
長野県のある山村には、かつて「ミシャグジの森」と呼ばれる場所がありました。そこは、古くからミシャグジさまが祀られており、村人たちは決して森に立ち入ることはしませんでした。
しかし、ある時、村の若者が好奇心から森へ足を踏み入れてしまいます森の中で奇妙な石像を見つけ、興味本位で持ち帰ってしまったのです。
それからというもの、村では不幸な出来事が相次ぎました。原因不明の病が流行し、作物は枯れ、家畜は次々と死んでいったのです。
村人たちは、ミシャグジさまの怒りに触れたと恐れ、石像を森へ返そうとしましたが、森は深い霧に覆われ、二度と近づくことはできませんでした。
そして、村は徐々に衰退し、ついには人が住まなくなってしまいました。
「ミシャグジの森」は、今もなお存在すると言われていますが、その場所を知る者はなくミシャグジさまの祟りを恐れる人々は決して森を探そうとはしません。
諏訪大社とユダヤとの関係
諏訪大社とユダヤの関係は、多くの研究者やオカルト愛好家の間で議論されてきたテーマです。明確な証拠はありませんが、いくつかの奇妙な符号が、両者の間に不思議な繋がりがあることを示唆しています。
断片的な情報や憶測に基づくものが多く、明確な結論を出すことはできませんが、両者の間に奇妙な符号が存在します。
1. 御頭祭と「イサクの燔祭」
諏訪大社の御頭祭で鹿の首を捧げる儀式は、旧約聖書に登場する「イサクの燔祭」のエピソードを彷彿とさせます。
「イサクの燔祭」は、神がアブラハムに息子イサクを生贄として捧げるよう命じる物語です。アブラハムは神の命令に従おうとしますが、直前に天使が現れ、代わりに羊を生贄にするよう告げられます。
御頭祭も、かつては人間を生贄として捧げていたという説があり、両者の儀式には共通点が見られます。
2. 守矢氏の家紋と「ダビデの星」
諏訪大社上社前宮の神長官を務めていた守矢氏の家紋は、円の中に十字が描かれたものです。これは、ユダヤ教の象徴である「ダビデの星」によく似ています。
ダビデの星は、六芒星と呼ばれる図形で、ユダヤ人のアイデンティティを表すシンボルとして、広く知られています。
守矢氏の家紋とダビデの星の類似は、偶然の一致かもしれませんが、両者の間に何らかの関係がある可能性も否定できません。
3. 諏訪地方に残る「ヘブライ語」の痕跡
諏訪地方には、「ヘブライ語」に由来すると思われる地名や言葉が残っているという説があります。
例えば、諏訪湖の北東に位置する「茅野市」は、ヘブライ語で「祭壇」を意味する「ミズベアハ」が転訛したものだという説があります。
また、諏訪地方の方言には、ヘブライ語と発音が似ている言葉がいくつか存在すると言われています。
4. 謎の多いミシャグジ信仰
諏訪大社に古くから伝わるミシャグジ信仰は、その起源や正体が謎に包まれています。ミシャグジさまは、蛇神、石神、農耕神など、様々な姿で信仰され、その姿はユダヤ教の「ヤハウェ」を彷彿とさせるとも言われています。
ヤハウェは、旧約聖書に登場する唯一神であり、その姿は明確にされていません。ミシャグジさまもまた、特定の姿形を持たない、精霊に近い存在と考えられており、両者の神には共通点が見られます。
まとめ
長野県・諏訪湖畔に鎮座する諏訪大社。全国の諏訪神社の総本社として知られるこの場所は、古くから畏怖の対象とされてきた土着神「ミシャグジ」信仰と深く結びついています。
75頭の鹿の首を捧げたという「御頭祭」や、生きた蛙を射抜く「蛙狩神事」など、血と畏怖を感じさせる祭祀は、ミシャグジさまの祟りを鎮めるためとも言われています。
禁忌を破った大祝が謎の死を遂げたり、ゲーム開発者が怪奇現象に悩まされたという逸話も残されており、諏訪大社には、今もなお古代からの畏怖が息づいています。